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地元民擬態とは??のはなし

旅…してますか…?

どうも、すくとりです。

ここ最近は引きこもってばかりで全く旅に出れていないのがかなしいところ。マイルとJREポイントの用意はあるので軽率に飛び出すかもしれません…。

 

さて、先日新刊として出した『地元民擬態行動のすすめ』ですが、自己満足で自分の異常?行動を本の題材として取り上げたところ案外評判というかお褒めを頂きまして、共感もあれば意外性もあると様々なお言葉を頂いてありがたい限りです。

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さて、そんな今回のテーマある『地元民擬態』ですが、そもそも擬態行動って一体何ぞやと。あとがきにそれとなくまとめはしましたが、感想などを頂く内に自分でもなんだっけ…?となりつつあるので、自分の旅の価値観を入れ込みながら解説をしていこうと思います。

 

地元民擬態、一体、何なの?

言葉そのままの意味ですが、『出先(旅先)で地元に住む住民が主に使うような施設、店舗や行動そのものと同じ動きをする』だと思います。同人誌の方ではわかりやすく『(自身の)居住地周辺でしている日常の動きと同じものを旅先でもする』としましたが、圧倒的車社会に馴染んだり居住地周辺でないような動きをする時など、出先の人々と生活水準、スタイルを合わせるという意味では前者の方が近いと思います。

魚津市 圧倒的車社会

ローカルチェーンでご当地グルメを堪能するだけでなく、地元民が集まっていそうなマクドナルドやファミレスのような全国にあるものから、図書館に行ってみたり、時には役所に出向いて食堂に行ったり資料請求(!)をしてみたりと、『もし自分がその地に移り住んだら』の気持ちで動くことが多いと思います。

擬態して何をするんですか?

この部分の解説があまり出来ていなかったな…と。件の新刊や前述の解説で『これをすれば擬態になるよ!』という説明が出来ましたが、擬態したから…何…?という疑問にはお答えできていませんでした。ここからはガッツリ私の”旅観”*1が関わってくる点ではあると思います。

なぜ地元民擬態…それは私が 他者の生活・暮らし・日常を垣間見るのが好きだから

これに尽きると思います。

以前、Twitterで”暮らしの観測”という言葉が流れてきました。集落の中にある共同浴場などに紛れてその人々の暮らしとお湯を浴びるのが良い…という話でしたが、これにかなり近い考えだと思います。旅先の地にはその地の暮らしがあり、そこで日々を過ごしている人々がいます。その地でその瞬間その場所に行かなければ一生見ることのない”暮らし”がそこにあるのに、見ずに立ち去ってしまうのは非常に勿体ないなと。そういう考えを持ちながら日々旅をしています。

大船渡 住民主催の催しにふらっと立ち寄るのが良い

あまり良くない事ではあると思うのですが、地元民擬態の場で私はよく聞き耳を立てて会話を聞くのが好きであります。その人が何をした帰りなのか、ファーストフード店にたむろする高校生が話題にする学校の事、知り合いなのかレジと客同士で他愛もない会話をしたり、共同浴場で普段会っているのか顔を見て挨拶を交わす人々…。この全てを五感で味わい、身に染みさせるのが地元民擬態であり、これを求めた結果が地元民擬態であると、そう思います。

この行動の副産物として、その土地の歴史や実情が理解できたり、人が集積する場所が自然と理解できるというのがあります。私自身土地の歴史を学んだり徘徊によって理解を深めるのが好きなので、そういう意味では非常に相性の良い趣味だなと。

地元民擬態?

ここで思うのが『本人は擬態するつもりがない』という点です。地元民が集う場所で暮らしを浴びに行こうとした結果擬態になっていた…の方が近いかもしれません。第三者にこの行動を説明する際に、上記の回りくどい説明をするよりかは『地元民擬態』と単語にまとめた方が楽なところがあります。

もう一つは”暮らしている方々に迷惑をかけてほしくない”という点。

他者の暮らしを浴びに行こう!!と銘打って本を出し、それに感化されて知らない街でオタク(クソデカ主語)が生活空間に立ち入って不審な動きをするよりかは、『地元民擬態』として擬態なら地元民らしく振る舞いましょう…?という説明がつくものでありあります。(ここの読者にはそのような行動をする輩もいないと思いますが…)これは本を作るにあたってぼんやり頭の中に浮かんだことですが、自戒すべき点でもありますし、他者の生活空間という場所でもありますから、日々気を付けて動かねばな…と思う所であります。

西條名寄 とは言え気にしすぎも萎縮してしまうので、ほどほどが大切

その配慮の中でどのようにして最大限暮らしを感じることが出来るのか。そこが腕の見せ所であり楽しみでもあります。

様々なモノを見た時にそのあまりの良さについ口角が上がりそうになりますが、マスク社会のおかげで周りの住民には一切気づかれません。ありがとうマスク。

暮らしとは

その地の暮らしを追って一体何になるのか。私はGMSのような商業施設に詳しくなければ都市計画都市デザインに詳しいわけでもなく、街の構造全体の詳しさでいえばかなり劣ると思います。しかし、どのような計画を基に作られ、使われている建物であっても結局は人々の生活がなければ成り立たず、そのニーズと合致しなければ閉館閉店してしまう、それが”まち”です。行かなければわからない、その地その人々が求めているものやその現状を知るコト。それこそが私にとっての旅であり、『地元民擬態行動』をする原動力であると、そう確信しています。

画一的に見える大手のチェーン店であっても品物の置き方から配置、建物の構造まで微妙に異なるかもしれない。同じように見える庁舎も暮らしに合わせて適応しているかもしれない。様々なものから同じに見えて違う点を探し出す行為は、その地の暮らしに合わせた結果の違いを探し出す行為かもしれません。

皆様も擬態して、暮らしを摂取して、そこでしかわからない違い、同じところ。

五感で味わってみてはいかがでしょうか。

*1:旅に関する姿勢?どんな気持ちで、なにを求めて旅をしているかみたいな解釈でいいと思います。