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おいしい・ごはんが・たべたい

新潟市徘徊のはなし

 

 先日、新潟に行って参りました。大まかにどんな徘徊だったかはTwitterの方にまとめたのでそちらをどうぞ(ツリーになってます)

 

なぜ新潟

事の発端はJR東日本が管内の新幹線を対象にお先にトクだ値スペシャルが設定されたことによるもの。乗車券+特急券が通常の半額(!)と20日前までの予約縛りがあるものの非常にお得な切符となっています。長年太平洋側で生活し、日本海側に最後に赴いたのが15年も前。ことごとく縁が無く行く機会が作れていなかったものの、これを機に日帰りで軽率に行って徘徊をしようとなったわけであります。

片道5000円と非常に安い。



黒く覆われて

新潟の地にたどり着きました。久しぶりの新幹線は良いですね。東北新幹線には何度も乗ったものの上越新幹線の乗車が初という事もあり、車窓眺めながらぼんやりとしていたら一瞬で着いた覚えがあります。

E2系だらけ

新潟駅といえば万代口に建つあの地上駅舎が頭に浮かぶ方も多いと思われます。去る2020年10月に惜しまれつつも閉鎖された新潟駅万代口ですが、閉鎖後も1ヶ月ぐらいそのままの状態で残るだろう思っていたところ、駅名標の点灯が5日前に終了し、その後駅舎がネットで覆われ始めて訪問がギリギリ間に合わず…と記録としては中途半端な形になってしまいました。かなしい。

駅名標の撤去が始まった直後であった

駅近くで自転車を借りて機動力を向上させつつ万代シテイ*1で定番バスセンターのカレーを堪能しつつ散策。初訪問の街は徘徊が捗ってしまい、8時過ぎに着いたのに関わらず市のシンボルともいえる萬代橋に着く頃には11時になっていました。恐るべし新潟…。

 

移動を支え続ける脚

新潟に行った目的は色々あるのですがその中でもこれ。

信濃川河口から数えて4番目の橋梁
昭和大橋

新潟市内を流れる信濃川に架かる橋で、1964年5月新潟で開催される国体に合わせて旧橋梁を架け替え現在の姿に。一見どこにでもある普通の橋で、優美な見た目の萬代橋などと比べると特に特徴のない様に思えます。

竣工から僅か1ヶ月後の同年6月16日、新潟県全土を地震が襲い新潟市は火災や液状化など甚大な被害に見舞われます。石油タンクは爆発炎上、住宅地を中心に液状化が発生するなど市内全体が大混乱となりました。(検索等していただけると液状化の影響で横倒しとなった団地の写真が見られるかと)

 

ここ昭和大橋も例外でなく、地震による液状化の影響により2基の橋脚が沈下、他の橋脚も傾斜し橋桁もそれによって多数落下。市内最新鋭の橋梁の落橋は新潟市内のみならず日本中に衝撃を与え、これ以降液状化現象の対策が本格的に行われるようになったそうです。落橋の原因は、昭和39年7月3日付の昭和大橋の落下に関する新聞記事の総括によると

昭和大橋の特徴は、長さ25mの鋼管杭を橋脚(ピーア)に使っており、普通はこの鋼管の中にコンクリートを詰めるところ、代わりに河床から下の部分に砂が詰められていた。手を抜いたというわけではなく、計算上コンクリートでなくてもよかったので、砂で済ませていた。昭和大橋が落下した原因は、計算上の安全に頼り、下部構造が弱かったことや美観優先で橋脚の頭の幅を広げなかったことなどが考えられる。

とのこと。*2

その後復旧工事が行われたましたが、落橋した橋桁や傾いた橋脚を耐震化を施した上で再利用。幾度かの補修を挟んで現在に至るというわけであります。

今回はその当時の橋が使われているのが気になり行ってみた次第です。

 

液状化により傾いた支柱がこちら。カメラを向けてやっとわかる程度だと思っていたのですが、川沿いの芝生から肉眼で普通に見れます。その目で見ると傾きながらも今もなお橋桁を支えていることがよくわかります。

白山、市役所側から

周囲を散策しましたが橋周辺には特に地震等の説明はありませんでした。普通に上を通るだけでは全くわからない痕跡ではありますが、市民の生活を下から目に見える形で残っているのは面白く感じます。

新潟地震の事に関しては信濃川河口の山の下みなとタワーに少し写真が掲載されていたぐらいです。観光名所…とは少し違う気がしますが新潟に行って興味があるのなら見に行くのもいいかもしれません。白山公園等近いのでアクセスは悪くないはずです。

引き続き散策

昭和大橋を目指していたら白山に自然とたどり着いていたので徘徊再開です。

白山公園周辺には白山神社新潟市役所、県政記念館などがわらわらと集積しており徘徊にはもってこいな場所だと思います。

山前駅跡 広場になっている

白山公園からは古町通をつたって県最大の繫華街古町に抜けました。日本海側最大の都市は伊達ではないなと。近年では万代シテイ周辺の開発により人が流れている…という話を耳にしていましたが、非常に栄えている印象を受けました。

でかい

古町周辺の町割りですがこれがまた面白く、白山公園側から古町通、東堀通、本町通、上大川前通と東西に結ぶ通り沿いにそれぞれ1番町、2番町、3番町…となっています。現在の日本各地の住居表示実施地区で多く見られる道路で囲った土地にそれぞれ番号が振られるのではなく、通りを軸としてその左右に同じ町が広がっているなど、古来からのまちの形が色濃く残っている場所だと思います。

Mapion地図より

中心の通りから外れた礎町通上などでは1ノ町2ノ町…となっているなど同じ市街に別の表記か混ざっているのもまた面白い点かと。

(ここら辺はあまり調べられていないので次回探訪時にまとめて調べ尽くすつもりですのでご容赦を…)

廃線休線アンド廃線

おひるを挟みつつ午後も徘徊です。向かった先は市街地東部にある貨物線跡。ここ新潟市は交通の要衝でもあり、かつては各地からの線路が港に向かって線路を張り巡らせていました。現在ではかなり整理がされましたが廃線跡などから当時の面影を探れないだろうか…と思った次第です。

保存状態が良すぎる 10000000pt
旧沼垂駅

万代シテイから東にたった1.5kmでこの廃線です。現在の信越本線である北越鉄道の終着駅として開業、新潟駅開業後も貨物輸送の拠点としてかつては栄華を極めたそうですが輸送の縮小などにより2010年に廃駅化。廃止から10年経った今でもその姿は残っています。

国鉄

鉄道の歴史には疎いので各自調べてもらった方が早いかもしれません。(おい)気にはなっているので次回探訪時に図書館に行って資料を漁ろうかな…という気分であります。

 

焼島駅

現役の駅です。日曜の午後ということもあり鄙びた空気が広がっています。現在の貨物支線の終着駅ですが、かつてはここよりもさらに海に近い場所まで線路が伸びていました。

東新潟港駅

最後に東新潟港駅です。前述の焼島駅からの線路が伸びており、今では住宅街のど真ん中に錆びた線路が広がる空間となっています。

わかりやすく線路跡

現在は休線休止駅という扱いらしく線路こそ撤去されていませんが見た目は廃線そのもの。2002年に休止されて以降手が付けられていないのか、柵もなく敷地にも入り放題になっています。休止中の駅構内には地元住民が通ったような雑草の轍が伸び、かつてコンテナが積まれていたであろう線路のない広場では子供達が公園のように遊ぶなど、住民には廃止されたものとして認識されているのかもしれません。

 

 

廃線を観察した後は新潟市街に戻り自転車を返却、帰りの新幹線までの間にSUSHIを堪能しつつ帰路につきました。

まとめ?

まあこんな所です。このブログは本当に気まぐれで更新するので期待はしないでください(今も寝れないので書いている。)

新潟駅万代口バスターミナル

 新潟は一見何も無いようで調べると見たい場所がどんどん増えていく不思議な街でした。内陸県に住んでいるせいか、海が近い街だと自然と気分が高揚するのかもしれません…。

 

ではでは。またいつか更新しますので。

 

つづき 新潟島について

2022年も12月になりました。情報量を増やしたかったので加筆修正の上投稿しています。上記のまとめ部分以外はほぼ全て書き換えた上に写真の貼り替えも行いました。テセウスの船か? 2022年は新潟市内を流れる関谷分水の開通から50年が経った年だそうです。100周年となった大河津分水と合わせて河川改修の展示が各地で行われ、再び書きたいと思った次第です。

関谷分水と信濃川本流に挟まれ、『新潟島』とも呼ばれる地区。今でこそ橋かトンネルが無ければ他所に行く事が出来ない地区となっていますが、島ではない形でかつては計画が進んでいたのをご存知でしょうか。

信濃川下流河川事務所より

こちらが事業計画当初の案になります。現在の千歳大橋から萬代橋の間には碁盤の目のように道路が引かれ、今は大きく流れる信濃川本流も右岸に小さく流れるのみな計画となっていました。関谷分水の掘削によって発生した残土を本流の埋め立てに用い、洪水から守る計画だったといいます。*3いつからか計画は変更され、関谷分水の開通によって洪水の危険性が無くなったことから市民の憩いの場となるやすらぎ堤が整備されるなど*4今の新潟市を形成する重要な分岐点でありました。当初案のまま埋め立てられたらまた違ったまちの形をした新潟市が見れたのかもしれません。

 

埋め立て案がなぜ撤回されたかなど、前述の調べごとも含めてまとめて調べに行きたいとは思っています。(中々行けませんが…)また追記があるかもしれません。

 

では、この辺で。